平成遺文集

平成の遺文を集めたものです。

自分と僕と人形

ペダンチックに振舞っているが、その実、自分の底の浅さに戦々恐々としている。自分の底は一体どこにあるのだろうか、隣の芝は青いとはよく言ったもので、他人への扇情や羨望に苛まれているというのが実情だ。行き着く先がどこなのか、未だにわからない。「行き当たりばったりの、出たところ勝負。なるようになる。人生は意外とどうにかなる。」根拠のない自信はもはや、涸れかけている。実際問題、今まではどうにかなっていたが、これからもどうにかなるのかは誰にもわからない。僕にもわからない。

全能感とは真逆の、漠然とした不安感が時たま顔を覗かせる。どうしたいのか。どうなりたいのか。正直言うと、どうもしたくないし、どうにもなりたくない。ところが、僕の中にあるなにか、得も言われぬ、うごめく塊がそれを許さないのだ。将来は有名になって、お金を稼いで。なんの明確さも、計画性もない、夢、空想、妄想、妄言の類が、僕を掴んではなさないのだ。その塊は、きっと、承認欲求というやつだろう。誰に承認されたいのか。世間か?人か?世界か?わからない。いや、たぶん、わかっている。自分自身で納得したいのかもしれない。いや、納得したいのだ。自分に認められたいのだ。僕に折り合いをつけられるのは、他でもない自分自身のはずなのだ。そのはずなんだ。

どうして、ここまで、自分と僕が離れてしまったんだろう。ストックホルム症候群というのがある。「犯人と長く過ごすことで、犯人を良い人だと思うようになる」、そんな感じの現象だ。自分と最も長く一緒にいるはずの僕に、好意的な感情を抱かないこの自分という存在は一体何なのだろう。きっと、今の僕と理想の自分、いや、自分の理想か。良くはわからないが。近いようで遠い、この2つは、きっとどこかで袂を分かったに違いない。だからこそ、自分は僕を苦しめるのだ。僕は自分に不満たらたらなんだ。僕と自分は、違うのだ。

 

なら、本当の自分はどこにあるんだ。

 

自分はどこに向かっているんだ。

 

僕はどうすれば良いんだ。

 

自分に認められる日は来るんだろうか。

 

こういう心臓を剥き出しにされるような恐怖感とどう折り合いをつけたらいいのか、いまだに分からない。承認欲求を捨てよ。他人に認められようと思うな。アドラーか誰かが言っていた。他人から承認されたい欲求。わかる。ある。社会性動物であるから仕方がない部分もある。承認欲求とは思わないことにしている。人とうまくやっていくための、なんというか、手段?方法?テクニック?まあ、何にしかそう思っている。何度もいうが、承認欲求がないわけではない。他人からも。自分からも。アドラーアドラーか誰かわからないが、とりあえず、対象が必要なのでアドラーとしておく)は言う。自分につく他人の評価は、他人のもの。あなたがどうこうできるものではない。

そのとおりだ。だが、自分からつく、僕への評価はどうすれば良い?

アドラー(これはアドラーだったように思う)は、それに対しても答えを用意している。「自分は、自分の思い描いたようになる。たとえば、赤面症の人は、自ら望んで赤面症になっているのだ」と。医学的用語で言うと、疾病利得と言われるものだろうか。病気であることで得られる利益。たとえば、病気だから〇〇できない、でも、逆に言えば、○○しなくて良い。○○することで余計に恥をかかなくて良い、不安にならなくて良い、怒られなくて良い。そんなものだ。

じゃあ、自分が僕を認めないのも、自分が望んだことなのか?アドラー的には、僕が望んだことなのか?僕を苦しめる自分は、本当はいないのか?僕が、そういう「自分」を作り上げたのか?なんのために?僕を苦しめるため?なぜ?死んでほしいからか?僕に?

自分なんていないのなら、僕は誰に承認されたいんだろう。身近な人か?いや、身近な人は僕を認めてくれているはずだ。認めているというか、友達だ。僕が思っているだけかもしれないけど。そういえば、こういう不安もここ5年位前から出てくるようになった。向こうは、僕を友達と認めてくれているのだろうか。いや、一緒に遊んだり、同じ時間を共有したり、ともすれば、家に泊めてくれたりもする。友達じゃなかったらそんなことはしないはずだ。だから、きっと、彼らと僕は友達なんだ。そのはずなんだ。なぜ、こういうことを考えるようになったんだろう。他人の言動を深読みするようになったのはいつからだろう。ピュアに、真正面から、言動を受け止めていた頃の僕はどこに言ったんだろう。そう思うと、今の僕もまた、僕の中の別のナニかが作り上げたものらしい。そう思うと、それはきっと「自分」なんだろう。「自分」が「僕」を作り上げたのだ。「自分」の肉を削いで、皮をはいで作った肉人形が「僕」なんだ。「自分」は飽き性だから、一度作った「人形(ぼく)」も、作り上げてしまえばすぐに飽きが来る。だから、その「人形(ぼく)」を破壊したくてたまらないんだ。自分は、「人形(ぼく)」が嫌いなんだ。その都度作り上げる、「人形(ぼく)」という存在が憎らしくて仕方ないんだ。「自分」を出したいのに、自分が表出できるところは限られた友達の前しかない。長く連れ添った友達。それ以外の前では、「人形(ぼく)」が顔を出す。憎らしくて仕方ないんだ。○したくて仕方ないんだ。

 

なら。

 

ならば。

 

なんにも解決しないじゃないか。

ひねくれた自分が、作り上げた仮初の僕に苛立って、自己加害を決めているだけじゃないか。こんなの、なんの救いもないじゃないか。

 

今日は眠ることにする。明日になれば、「人形(ぼく)」が顔を出す。また、自分は、少しの間眠りにつくのだ。